人格攻撃までしたらいけないと思うよ。マスコミさんたち。

手の平返して文句ばっかり。

テレビ見るのが段々嫌になってくる…


彼をテレビ出演して視聴率とってたくせに…



「検察のおかげで、おれの株が下がった。どうしてくれるんだ」。東京地検にはライブドアへの強制捜査後、苦情電話が殺到した。検察幹部は「買収を続けて会社を大きく見せているだけだ。汗水垂らして働く日本人の感覚からすればおかしい」と捜査の意義を強調する。だが、国民の反応と必ずしも一致するとは限らない。

 ◇株価のための「冗舌」

 「今、会社の前にいます」。94年7月20日、東京大にアルバイト募集を出したIT(情報技術)関連会社に一本の電話があった。副社長(56)が迎えに行くと、ジーパンに黄色のTシャツ姿で肩まで髪を伸ばした青年が立っている。当時21歳の堀江貴文前社長(33)。大学にはほとんど通っていなかった。

 パソコンの顧客データ入力作業を任せられた。普通はひと月かかるのを1週間で済ませた。寡黙。酒が入ると語り始めた。「会社に就職するイメージが持てません」

 96年春、ホームページ制作会社「オン・ザ・エッヂ」を設立。別の社長は人の目を見ることができずにおどおどした堀江前社長を覚えている。合コンでも女性から相手にされない。利益も伸び悩んだ。周囲には「コンプレックスのかたまり」に映った。

 後に片腕となる税理士の宮内亮治前取締役(38)と出会ったのはそのころだ。高校野球の名門、横浜商業で野球部に入り、生徒会長も務めた。中止が決まっていた体育祭を、生徒の署名を集めて開催させたこともある。

 同級生は「ノリがよくて後輩にも慕われていた」と振り返る。家計は苦しく、友人に「早く稼いで、育ててくれたおばあちゃんに楽をさせてやりたい」と話していた。

 ライブドアは00年に上場を果たし、企業買収にまい進する。04年1月中旬、ターゲットの人材派遣会社を宮内前取締役が訪れ、財務諸表に目を通した。「これは交換だな」

 しかし実際は両社の株式交換による買収ではなく、投資事業組合をひそかに介した株売却益だけが狙いだった。宮内前取締役は携帯電話で堀江前社長に伝え、30秒で了承を取った。知人に「おれが経営しているようなもの」と漏らした。

 半年後、近鉄球団の買収に乗り出す。堀江前社長はテレビで「古い経営者」を冗舌に批判し始めた。同社関係者は「堀江さんは自社の株価を上げるためのマスコット。自分の役割が分かっていた」と明かす。買収に名乗りを上げた翌日以降、株価はストップ高を記録。堀江前社長はヒルズ族の称号と人気を手にし、宮内前取締役は三つの家を持った。

 昨年10月、東大生の保手浜彰人さん(21)は国の起業家育成事業で5日間、堀江前社長のかばん持ちをした。「経営者に一番必要なものは」と尋ねた。「それ、意味あるの?」。口をきいてもらえなかった。それでもゼロから会社を大きくした先輩を尊敬している。

 逮捕前の22日に書いたブログ「社長日記」には、7000件を超える書き込みがある。既存の体制打破の象徴となった起業家の人気は根強く、錬金術への非難に交じって「ホリエモン頑張れ!」が目立つ。